今井雅弘の理論において、最も重要かつ有益な概念は疲労である。競馬予想には多種多様な方法があるが、疲労を考慮するものはいまだに稀だ。たとえば、先日の宝塚記念でウインバリアシオンやメイショウマンボは疲労面からかなりリスクの高い選択肢だったが、オッズが示す限りでは多くの人々がそれを厭うことなく勝負しているように見受けられる。
疲労の読み方を知っていれば、その影響が極めて重要であることは明らかに思えるが、それが人々に気づかれずに済まされているのは何故か。
そもそも、競馬予想は各馬が計量比較可能であるという幻想に基づいて遂行される。レースは分離不可能な全体であり、いわば出来事であるが、それが着順として登録されることにより、各馬は計算されるべき対象となる。観察により引き出された諸要素は数値化され、それぞれの馬に振り替えられる。馬場、コース、距離、走破時計、枠順、展開…等々。そのような思考にとって、疲労は自らの存立を脅かす危険な概念といえる。たとえば枠順の有利不利、コースの得手不得手は計算可能な範疇であり、加点ないし減点することにより予想へと反映されるが、疲労の影響を受けた馬は潜在能力(そんなものがあるとして)に関わらず競走に参加しないため、計量比較自体を無意味なものにするからである。
従って、前者のような諸要素が公然と議論される一方、疲労について、少なくともレース前に指摘することはなかばタブーとなる。また、敗因としての疲労は過小評価されるか何かほかの要因に取って代わられるのが常である。宝塚記念では、レース後、馬場状態や展開が敗因として盛んに語られている。馬場が悪くなかったとして、上記の2頭が馬券になるほど順位を上げていたかは疑わしいのだが。
多くの予想法は疲労概念を否認せざるを得ない構造を持っているが、それは言語一般になじみ深い様式でもあるため、強固なものとなっている。それゆえ、疲労を知ることは我々の利益の源泉であり、決定論的な思考が捉え損ねる生成するレースのダイナミズムを認知するための重要な鍵となるのである。
では具体的に疲労の概念とはどういったものか。稿を改めて詳述する。
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