2015年3月29日日曜日

他路線の圧倒的有利 高松宮記念後記

前日の印に引きずられてコパノリチャードから買ってしまったが、冷静に考えればエアロヴェロシティはかなり材料が揃っていた。

・馬場
稍重ながら、9Rの1000万下で勝ちタイム1:08.6。速めの馬場となっていた。特徴として、馬格のある馬ばかり走っていたため、最も馬格があるエアロヴェロシティは適切。540キロ台(当日は524)で走っている馬が日本の馬場に適性があるのか疑念があったが、むしろ有利となっていた。
外差しが決まっていたのは一過程で、徐々に皆が内を避けてむしろ内枠有利となるのはよくあるパターン。馬群が広がるので内で揉まれる懸念も格段に低くなっていた。

・他路線の有利
短距離で対戦を続けているメンバーにあって、唯一の他路線馬であった。
コパノリチャードは阪急杯で負けて疲労が少なめで1200経験も少ない点を買ったが、今日の馬場では無理。

・状態
減っていたのが気にはなるが、パドックでは活気があり、イレ込むほどではなかった。


冷静に臨機応変な対応が出来るようになりたい。

2015年3月26日木曜日

【2,3歳戦のセオリー】スプリングステークスを参考に

キタサンブラックが勝ったスプリングステークスは2,3歳戦の結末として極めて典型的なものであったと思う。
少キャリアの馬同士が対戦する2,3歳戦はローテーション分析がストレートに結実し易く、収益の軸となるカテゴリーである。G1級の馬と1勝で終わる馬が対等に枠を与えられているという特殊性に加え、血統背景や1戦限りのパフォーマンスといった当該レースに関わりの薄い要素が人気に偏りを生じさせやすいため、高い収益性が生じるのだ。
ポイントをまとめておく。

●指数は関係がない
重賞を好走すれば平場より大きな数値を獲得するが、トップクラスを走り切った疲労も同時に抱えるため、高い指数ほどむしろ危うさがある。

●当該コース適性重視
多くの馬が初コースとなる場合、戦歴の純粋な評価がそのまま結果に繋がることが多い。
キタサンブラックは前走の先行歴が有利で、馬格があることや配合から中山向きのパワーを持つことは想像に難くない。
差して新馬勝ちした後に突如2番手押切りした内容はスケールを感じさせる。ちなみに前走の1番人気は重賞好走後のダッシングブレイズだった。同様の構図である。

ダノンプラチナは戦前から小回りコースが不安視されていたが、加えて初めて追い込んだ後の距離延長となることもマイナスである。さらに重賞好走後のストレスもあった。
京成杯1,2着のベルーフ、ブラックバゴは差し馬場だったこと、また中山2000と1800の差し易さの違いから好走は難しかった。

●血統は適性評価に留める
このレースが示すとおり、血統背景によるスケール比較は馬券の弊害になるといえる。少なくとも全馬が1勝する実力は有しているのであるから、戦歴とパドックから考えるべきだ。
前日の若葉ステークスではメイショウサムソンの仔が穴を開けていたが、スケールよりも当日の条件にマッチしているかどうかのほうが重要なのだ。

●パドックを見る
若さを見せる馬も多く、結果に繋がり易い。

2015年3月1日日曜日

後藤浩輝の自殺について

悲劇であればストーリーがあるものだが、ただ自死の事実だけが伝えられていることに当惑している。
少なくとも競馬に於いては、苦労して復帰した後、好騎乗を続けており、先週も3勝。順調に見えただけに理解に苦しむ出来事だ。
博打を打つような連中は物事の原因をいうのが好きなので、たちまちに諸説入り乱れているが、未だ説得力を持った説はないように思う。

今日も淡々とレースは繰り返され、競馬番組では「3月は出会いと別れの季節です」などと予定された進行に終始しているが、なんとも異様な雰囲気を感じずには居れない。

競馬は反復を強く意識させる。コースは円形で、いつも回帰してくる。パドックも同じで、馬は周回させられる。開催は繰り返され、3月は出会いと別れの季節だ。
今にして思えば、後藤の落馬は反復強迫となっていたのではないか。
2012年NHKマイルCでの落馬の後、復帰直後の同年9月に再び落馬。2013年10月に復帰し、2014年4月にまた落馬。11月まで休養を余儀なくさせられていた。いずれも点で見ると、不運な事故としかいえない事象だが、これだけ繰り返されるのは尋常ではない。
犯罪被害者の一定数は自意識の考えとは関係なく、無意識に行う不用意な行動によって再び被害に合うといわれる。即ち反復強迫である。後藤の直近の言動に影を感じさせるものはなく、死を想起させるとすれば21日に落馬したことだ。それはこれまでと違って軽傷で済み、翌日には2勝するなど大事に至らなかった。
レースでの死(失格)を意味する落馬は、再三、後藤の身体を痛めつけた。今度の落馬で幸運にも痛手を負わなかったことは、却って彼に不吉な衝動を与えたのではないか。

これは邪推に過ぎない。
献花台に花は絶えないが、受け止められない限り、喪の作業は完結しえない。当局とJRAはもう少し事実関係を明らかにしてほしい。こんな痛ましいことは繰り返すべきではない。