2015年3月1日日曜日

後藤浩輝の自殺について

悲劇であればストーリーがあるものだが、ただ自死の事実だけが伝えられていることに当惑している。
少なくとも競馬に於いては、苦労して復帰した後、好騎乗を続けており、先週も3勝。順調に見えただけに理解に苦しむ出来事だ。
博打を打つような連中は物事の原因をいうのが好きなので、たちまちに諸説入り乱れているが、未だ説得力を持った説はないように思う。

今日も淡々とレースは繰り返され、競馬番組では「3月は出会いと別れの季節です」などと予定された進行に終始しているが、なんとも異様な雰囲気を感じずには居れない。

競馬は反復を強く意識させる。コースは円形で、いつも回帰してくる。パドックも同じで、馬は周回させられる。開催は繰り返され、3月は出会いと別れの季節だ。
今にして思えば、後藤の落馬は反復強迫となっていたのではないか。
2012年NHKマイルCでの落馬の後、復帰直後の同年9月に再び落馬。2013年10月に復帰し、2014年4月にまた落馬。11月まで休養を余儀なくさせられていた。いずれも点で見ると、不運な事故としかいえない事象だが、これだけ繰り返されるのは尋常ではない。
犯罪被害者の一定数は自意識の考えとは関係なく、無意識に行う不用意な行動によって再び被害に合うといわれる。即ち反復強迫である。後藤の直近の言動に影を感じさせるものはなく、死を想起させるとすれば21日に落馬したことだ。それはこれまでと違って軽傷で済み、翌日には2勝するなど大事に至らなかった。
レースでの死(失格)を意味する落馬は、再三、後藤の身体を痛めつけた。今度の落馬で幸運にも痛手を負わなかったことは、却って彼に不吉な衝動を与えたのではないか。

これは邪推に過ぎない。
献花台に花は絶えないが、受け止められない限り、喪の作業は完結しえない。当局とJRAはもう少し事実関係を明らかにしてほしい。こんな痛ましいことは繰り返すべきではない。

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