私はパドックを重視するが、馬体を見る技術は持っていない。単に気配を見ている。
馬主や遊牧民と異なり、我々が必要としているのは当のレースで走る馬を知ることで、素質や将来性について見識は必要ないばかりか時には判断を誤らせる有害情報ともなり得るだろう。草原で育てば生きていくために相馬眼が身に付くが、ウインズで育った者にはモニターで気配を察知する眼が養われるのだ。
ここでいう気配とは、仕草が醸し出す雰囲気のことで、イレ込んでいたり、チャカチャカうるさい馬、闘志がなくうな垂れているような馬はよくない。程よく気合があり、落ち着いて歩いているとよい。
紙面から読み解く予想は、どこまでいっても推論に過ぎないが、パドックは現に表象されているのであるから留保の余地はない。主観的な判断に思われるかもしれないが、過去との比較を行えば、説明は容易だ。いまやレーシングビュアーがあれば、過去のパドック映像をすぐに参照することができるのだから、好走時との比較検討がさほど労せずとも可能となっている。タテの比較が重要であることは古くから説かれている先達の教えで、競馬は記憶のスポーツと評されていたが、記憶はもはや重要ではなく、レファレンス能力こそが求められている。
たとえば秋華賞のパドックにおけるレッドリヴェールと桜花賞のそれを比較すれば、気合の乗り方が別馬のようだった。騎手は積極策で乗りたい旨の発言を行っていたが、馬にその気がなければ実現できない。仮に巧く乗ったとしても闘争心を欠いていれば勝つことは難しい。単勝で凌いでいくのであれば、パドックで例外は認めるべきではない。ときに裏切られる場合もあるだろうが、馬は概ね正直である。
ただ、パドックは単純に走る気の有無を表現しており、買う馬を探すのではなく、勝負すべきか否かを判断する場である。走る気があっても条件が合わなければ仕様がない。
神戸新聞杯のワンアンドオンリーは稀にみる好気配で、他を圧倒する雰囲気があった。直線で見せた勝負根性もまさに王者の風格である。とはいえ、坂のある阪神で持久戦に持ち込んでのパフォーマンスであるから、同じ気配を見せていても、平坦コースでスローペースになれば疑う余地はある。事前に条件が合う馬に目星を付けて、パドックで走る気配であったら勝負する。これを守ることが肝要となる。
パドックから意外な狙いが出てくる場合もある。
10月5日の兵庫特別は菊花賞出走の可能性から3歳馬2頭が人気を集めていた。2番人気のメイクアップは追い込み好走後の距離延長となり難しいローテーションであったため、人気が分散されていれば1番人気のコルサーレを買ってもいいと考えていたが、パドックを見ると盛大にイレ込んでいた。これで距離延長の外枠では折り合いが難しい。5番人気の5歳馬ユキノサムライがパドック、条件ともに良かったのでこの馬から勝負したが、2頭に人気が集中していたため単勝12.8倍の好配当を得られた。
また、考えに確証を得ることもある。
オールカマーのサトノノブレスはパワー型のディープインパクト産駒で、短縮好走後は反動が出やすい。しかも休み明けの後だったので、危うい人気馬と考えていたが、パドックではイライラした仕草を見せての周回で、怖くない人気馬となった。2番人気のマイネルラクリマはパドック、条件とも良く、7.2倍も付いた。
調教時計や馬体重と異なり、パドックはレース前に直接、体調を知ることのできる指標である。また、体調が良くても走る気がなければ勝つことは難しく、場合によっては調教よりも重要な情報となりうる。それにしてはオッズに反映される度合いは低く、扱うメリットはきわめて大きい。
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